燕岳つばくろ(長野県神城断層地震)

2014/11/22-23

 

2:00本郷IC、梓川SAで休憩と時間調整をして6:00ころ安曇野のシャクナゲ温泉に着く。そこからタクシーで中房温泉まで40分、7:45登山口スタート。予報通り天気は快晴、予報では合戦小屋から上の合戦尾根と山頂尾根は10m/s以上の風があるとのことでしたが、実際は運よく風はそよ風。積雪は上の方で30cmくらい、吹き溜まりで50cmくらい。私は冬山は慣れていないし、何かあるか解らないので、登山靴から頭の先まで十分な準備をして行ったのですが、寒さに関しては何の問題も無かった。事前の打合せのお蔭だ。
 
合戦尾根を山荘・山頂に向かって登って行くと、大天井岳(おてんしょうだけ)につながる尾根の向うに槍ヶ岳が見える。雪を被った北アルプスの3000m級の山々が連なり雄大な景色だ。大正10年(1921)開業の燕山荘に到着13:50。
 
 
計画ではこの日はここまでで、燕岳は次の日の予定だったが、時間の余裕が出来たので、山頂まで往復した。イルカ岩やメガネ岩などを見ながら、2763mの山頂からは360度のパノラマが素晴らしい。15:40燕山荘に戻った。日の入は16:35、北アルプスの後ろに夕陽が沈む。夕食まで飲む。
 
夜眠っているとグラッと来た(長野県神城断層地震)。時計の針は22:10くらい。揺れている時間は短かったし、そんなに大きな揺れでもない(震度3くらいの感じ)。余震もないし、そのまま眠った。次の日震度6弱の大きな地震と知る。幸い死者は無かったが、けが人は44名(11/26現在)。前回の御岳山噴火に続き今回は大きな地震、まったく何が起こるか解らない。
 
中房温泉から安曇野に下る山道は谷川沿いの細い道なので、少し心配して早めの6:50出発、11:00前に中房温泉登山口に着いた。安曇野まで無事に行くことが出来、温泉に入り、「石松庵」でおいしい蕎麦を食べて帰路に着いた。またひとつ、新しい登山経験をすることが出来ました。リーダーや皆さんありがとう
 
 

犬山祭り

2014/10/25

 

犬山祭り(重要無形民俗文化財)

1617年、尾張藩徳川義直の御附家老として成瀬正成が3万石で尾張藩に入る。附家老とは将軍の直命を受けた家老で、徳川御三家の附家老5氏は特別だったとのこと。尾張藩主を補佐する立場でありながら、将軍直属の尾張藩に対するお目付け役でもあった。要するに格が高い。

犬山祭りの始りは1935年、現在は13のブロック(町単位)が車山を出す。「車山」は京都・滋賀・岐阜・犬山までは「ヤマ」と言い、その他愛知県に多い車山は「ダシ」と言うとのこと。高山祭の車山は犬山の車山と構造が同じとのことから高山祭りより古く、「からくり人形」の動きも断然高度な技術であるとのこと。昼は高さ9mの車山の上でからくり人形が動き、夜はもう一度、365個の提灯をつけて蝋燭の火が灯される。1台の車山の重量は2tonくらいだが、呼吸を合わせて直角に曲がる場面が見どころ。

車山をコントロールするために、車輪の下でブレーキをかける縁の下役から、車山の前後で押す人、統率するリーダーと役が上がって行く縦組織が作られている。車の上には囃子方や人形方などがいる。大人にとっても気合が入るが、子供たちにとってもいい経験になると思う。

犬山は名古屋駅か伏見から行く路線と、平安通から行く路線があるが、いとも簡単に行けるし、50万ほどの人出ではあるが、真近で見ることが出来るし、是非行かれるとよいと思います。今回は秋のイベント、本当の祭りは桜の咲く4月の第1土日です。1泊すれば犬山城(国宝、日本最古)や、織田有楽作の如庵(国宝、日本3大名席)と有楽園(日本庭園)も必見です。

写真の人は案内してくれた頑固人の大藪さんと犬山祭りの御長老です。やはり人も面白い。 
 

東北旅行

2014/10/21-23

 

女房と一緒に東北の青森・秋田・岩手・宮崎を回りました。小牧空港からFDAは安く早く簡単。レンタカーで八甲田山、ワ・ラッセ、三内丸山遺跡、酸ヶ湯温泉泊。次の日は奥入瀬、十和田湖、中尊寺を見て民宿泊。陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻、松原、仙台から新幹線。

八甲田は雨天の隙間をくぐり抜け、奥入瀬・十和田湖は快晴、紅葉を堪能しました。縄文遺跡が散在し、特に三内丸山遺跡は特別遺跡になっている。16000年前の土器は現在のところ世界最古。世界4大文明は4000-5000年前なので、それよりはるか以前。中尊寺は本堂・金色堂までの奥行きが深く雰囲気は味わえた。

東北大地震の津波で無いところはあとかたもなく無くなっている。リアス式海岸は入り江が凸凹だが高さ的にも高低差があり残っているところは残っているんだという感じ。気仙沼も何もないところもあったが、魚市場や復興屋台村などが観光客?で賑わっていた。新鮮な魚をたくさん仕入れた。石巻や松島を通って仙台へ。

岩手で泊まった時は小さな居酒屋でずいぶん安くしてもらい、おまけに新米のおにぎりや漬け物までいただき、東北の人情に触れることも出来ました。
 

御岳山噴火から11日目(白草山から)

2014/10/08

 

噴火から11日目、岐阜と長野の県境にある白草山(御嶽山の南西15km)から御嶽山を望む。未だに噴煙が立ち上っており、山頂近くは一面に火山灰が積もっているのがはっきりと見て取れます。

多くの犠牲者が出ました。未だ見つかっていない人もいます。私地震は別の山で良かったのですが、同じ日に登山をしていたので全くの他人事でもないような気もします。御嶽山の噴火が11:53、この日も山頂で食事をしたのが11:30くらいでしたが、せめて噴火が3時間ほど後なら被害も少なかったし、09/27も天気に恵まれ、さらに土曜日だったことなどが重なり、被害が大きくなったと思います。亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
 

北ノ俣岳・黒部五郎岳(御岳噴火)

2014/09/26-28

 

3日目(9/28) 朝歩き始めてすぐ、雲ひとつない快晴の景色の中で、御岳の上にだけ西から東へ雲がたなびいていた。さらに30分ほど歩いたとき、変わらぬ景色だったが、リーダーが「御岳が噴火したかもしれない」という。まさかと思ったが、そう言われてみれば確かにおかしい、雲とは少し違うようなという感じだった。さらに1時間ほど歩いて、下から上がってきた人が、「大変なことが起きた。昨日午前11:53御岳が噴火した」という。その時間は黒部五郎から北に向かって歩いていたので、気が付かなかった。私たちが来た山が御岳を遠くから眺める山で良かった。山から下りて、新聞を見たとき、大見出しのニュースに驚いた。

30年前1986、伊豆大島の三原山が噴火したときは、九州から東京への帰り、夜の飛行機の窓から噴火するマグマを見た。その時は確か全島民が東京へ避難した。 昨年、シシリーのエトナ山の行ったときは、その1週間後に爆発した。
 

富士山日本一 3776m

2014/09/20-21

 

初めて富士山に登った。5合目(2400)の駐車場に車を止めて、正午前5.5合目の山荘に着く。この日は高山病対策を兼ねて宝永山に登る。すでにこのあたりから山の色や高山植物が他の山と違う。夕焼けの空が真っ赤に染まり得もいえぬ美しさ。こんな夕陽は珍しいとか。

次の日朝3:45暗闇の中を出発。5:30頃日が昇る。次の日のニュースで初めて京都から富士山の写真が撮られたと言っていたくらいに、天気は快晴、空気は澄んでいた。富士山はやはり大きい、山頂は遠い。老人がいるし高山病になるといけないので、リーダーはゆっくりゆっくり歩く。特に9合目からの最後の300mは道も急でしんどい思いをしました。10時過ぎ登頂。さすがに富士山の噴火口はすごい。爆発したらマグマや火山灰が何万kmも噴き上げるということが実感できる。そして日本で一番高いところに立つことが出来ました。
 

五竜岳・鹿島槍ヶ岳

2014/07/24-27

 

1日目(7/24) 雨が降り始める中、ロープウェイとリフトを乗り継いで、10:10アルプス平を出発。白岳までの標高差は950mくらいだが、五竜山荘までアップダウンがあるので累計の上り下りは1200mほどある。雨がますます激しくなり、16:00に山荘にたどり着いたあと、全身ぐっしょりの後始末が大変だった。夕食後ようやくガスが消えたときはじめて、明日行く五竜の稜線を眺めることが出来た。


2日目(7/25) この日は行程に余裕があったので、少し出発を遅らせたが、五竜のトップを目指してガスの中の急坂を登る。五竜のトップから降りるところから難所が続いた。しばらくは急なガレ場、狭い馬の背を超えると、急峻なキレットの連続、ゴツゴツの岩なので手掛かりや足掛かりには困らなかったが、クサリを掴まないと通れないところもあったし、チェストハーネスとカラビナも使って、絶壁にへばりつく。水平ハシゴで空中を渡ったり、垂直ハシゴも数か所あった。下を覗くとぞっとするが、立ち込めるガスが恐怖心を和らげてくれたかも。ゆっくりな速度で最大限の注意をしながら進んだ。そんなこんなで岩場のスリルと雰囲気を十分に楽しむことができた。キレット小屋について、夕方には霧も晴れ、雲海の彼方に凸凹の劔岳が美しかった。


3日目(7/26) 朝から快晴、雲ひとつなし。まずは八峰キレット、聞けば3大キレットのひとつとか。キレット通過は昨日の続きだがそこも過ぎて、鹿島槍の急登を登ると北峰から見渡す360度はまさに絶景。南峰頂上でランチの後、南方への下りになると足元はガレ場に変わり、布引山や冷池山荘を通り過ぎ、長い尾根道が続いた。高山植物の種類も多く駒草などあまり見られない花も見ることが出来た。爺ヶ岳から今来た方向を望むと、風が霧を吹き飛ばして歩いてきたた尾根の道筋を鮮明に示していた。予定より少し遅れて、無事種池山荘に到着。夕陽を背に浮かぶ劔岳のシルエットを多くのカメラマンたちが撮っていた。


4日目(7/27) あとは下るだけと歩き出したら、またしても雨が降り出し、止むこともなく、最後まで何事もないという訳にはいかない。この雨がキレットを通り過ぎる時でなくて良かったと思いながら、途中虹も見ながら、予定通り扇沢の駐車場に着いた。タクシーで五竜の駐車場まで車を取りに行き、大町温泉で最後の反省会。今までにない経験をさせて頂いたリーダーへの感謝の気持ちは皆同じだった。

 

北海道 利尻岳と礼文島

2014/06/19-23

 

北海道の利尻、礼文に行きました。礼文は学生の頃行ったので40年ぶり。利尻山1718(標高差1511m)往復10時間弱、結構しんどい登山でした。天気は曇りで見晴らしはあまりよくなかったけど、楽しい登山でした。


初めてLCCを使いましたが、名古屋-千歳8900円(片道)は安い。道内は往きは飛行機、帰りはレンタカー。4泊5日で総経費は1人当たり9万円(宿泊食費込、酒代別)。ツアーならこの2倍です。特筆はバフンウニ3300円、この旨さには感激しました。

 

北海道も、LCCとか早く安く簡単に行けるようになったけど、昔は北海道といえば遠いあこがれがあって、行けば出会いなどもあった。その時はヒッチハイクだった。沖縄に行った時もそう思いましたが、あまり簡単に行ける旅は、景色は見られるし、美味しいものは食べられるけど、その分旅の「味わい」が少ないね。出来れば「奥の細道」みたいな旅がしてみたい!

 

御嶽山

2014//06/07-08

 

一日目、濁河温泉(1800m)から飛騨山頂(2800m)へ。初めの2時間ほどは造られた木道が歩きにくい。行程の半分くらいからは雪が残っているのでアイゼンを着け、2,3ヶ所は雪渓も横断する。這松の生茂る登山道を抜けると夕刻17時少し前に山頂に着いた。すぐ脇にその日泊まる五の池小屋があった。そこから見た景色は、西に沈みかけている太陽の光が、東の中央アルプスを雲の上にそら色に映し出し、眼下の火山口にできた三の池をエメラルドグリーンに染め、剣ヶ峰に続く尾根の東面は墨絵のような陰にして、どこが空だかよく見ないと分らない幻影的な風景を造りだしていた。


次の日は賽の河原を横断し、二の池を右手に見ながら剣ヶ峰(3063m)を目指した。帰りは雪道を尻制動などもしながらで楽だった。最後の頃は雨がしとしと降り出したが、さほど濡れることもなく無事下山した。私たちが行った町営の温泉場は、あるのは休憩所を兼ねた脱衣室と露店風呂のみ。内湯もボイラーもないこれ以上にないほどシンプルな作り。雨が降り出したので、用意してあったトップが破れた蓑笠の笠を頭に被り、雨の中で温泉に浸かった。これまたこれ以上になく風流な温泉だった。温泉を出て帰り道、雷が少し離れて聞こえていたが、御嶽山の東側を走る道から、さっき下りてきたばかりの御嶽山を見渡すことが出来た。何と大きな山であることか、剣ヶ峰、摩利支天山、継子岳等の全部をまとめてが御嶽山なのだ。帰りを急いで車が走って行くと、今度はバケツをひっくり返すどころか、タライをひっくり返すくらいの猛烈なゲリラ豪雨に見舞われた。どしゃ降りの雨の中を抜けて、夕刻無事名古屋に着いた。大沼さん、石田さん、皆さんありがとう。

 

天蓋山・深洞湿原

2014/05/28-30

 

山の会くららの仲間と天蓋山へ

最高の景色と採れた山菜のてんぷらと岩魚を焼いての夕食

藤田さん喜多さん圍さん三宅さん他と

 

四国旅行 石鎚山・剣山

2014/05/16-18

 

2泊3日で四国の剣山と石鎚山に登った。どちらも山岳信仰の山です。新緑がとてもきれいでした。大助・花子と出会ったり、一本足の下駄で頂上まで登る修験者と話したり、いろいろおまけつき。山を下りて道後温泉に浸かり、次の日は朝から行列の讃岐うどんを食べたり、帰り道の鳴門では大塚美術館にも立ち寄りました。